Glory

キング牧師を描いた映画『グローリー/明日への行進』(6月19日公開)の
テーマ曲「Glory」をHEAVENESEがカバー!!
「日本人だからこそ観るべき映画」そう語るHEAVENESEリーダー、マレ
今、なぜグローリーなのか。 その思いに迫る!!!

7. デトロイト大暴動


デトロイト暴動1943年

第2次世界大戦のまっただ中、1943年(昭和18年)6月20日、それは起こった。
黒人と白人の小さな喧嘩がみるみるうちに街全体へ広がり、デトロイト史上最悪の大暴動へと発展したのだ。
放火や略奪、そして殺人まで起きた。
街は完全に機能不全に陥り、遂に当局は、軍を投入して事態の収束をはかった。
3日後、暴動はようやく鎮圧されたが、死者34名(黒人25、白人9)、負傷者700名以上という大惨事となった。

停止した街

デトロイトはアメリカの基幹産業である自動車メーカーのビッグ3と、その関連企業がひしめき合う大都市だ。
2013年に財政破綻し、廃墟と化したエリアの治安は悪化したが、あれから2年たち再び息を吹き返し始めている。
しかし、第2次世界大戦当時のデトロイトは、押しも押されぬアメリカの自動車産業のメッカであり、自動車製造の8割を独占するアメリカ経済の心臓だった。
戦争が始まると、それらの工場は、武器や弾薬を製造する軍需工場に転化された。
デトロイトよりも多くの兵器を作っている街はないと言われた。
まさにデトロイトは「アメリカの弾薬庫」だった。

鎮圧のための出動したアメリカ軍

戦時下、デトロイトは、その生産力をもって軍事大国アメリカを支えていたのだ。

デトロイトの工場が止まれば、アメリカの軍備増強がとまる。
それは起ってはならないことだ。
これこそ、アメリカ政府が最も恐れていたことだった。
ところが、それが起こった。
暴動により街は停止し、身の危険を感じた多くの労働者が工場を欠勤し、生産ラインが止まった。

だから当局は、暴動を鎮圧するために軍隊を投入した。
それほど、ことは深刻だったのだ。
日本との戦争のまっただ中、自国内に軍隊を派遣しなければならないという混乱が生じたのだから。

絶対絶命のピンチ

日本を叩き潰すために、国内は一致して共通の敵と戦わなければならない。
しかしデトロイトでは、人口の16%を超える黒人たちが牙を剥いた。
南部アメリカには、当時、既に黒人人口が80%を超えている州もあった。
もし、デトロイトで兵器製造がとまり、それと連動するように、差別に不満を持つアメリカ中の黒人たちが組織的に暴動を起こしたら、アメリカの戦争遂行能力がそがれる。
これこそアメリカ社会が抱えるアキレス腱。政府が最も恐れていた事態だったのだ。
そしてそれは他でもない、日本が狙っていたことでもあった。

背後にいたのは誰だ?!


逮捕され国外追放される直前の中根中

アメリカにとって最も不都合な事態を演出できた人物は誰なのか?
FBIは速やかに原因究明のために動く。
そしてたどり着いたのは、すでに逮捕され、収監されている日本人。
そう、中根中(なかねなか)であった。

彼はもう4年も前に逮捕されていた。
それなのに、中根の思想と影響力は衰えるどころか、後継者たちにより、確実にデトロイトの黒人社会に根を下ろしていたのだ。
それはFBIにとっては、驚愕の事実であった。

FBI長官エドガー・フーバー

中根を逮捕し、その働きの芽を摘むためにプライドをかけて闘った男が、FBI長官フーバーである。
彼の驚きは大きかったに違いない。
組織のトップである中根なき後も、その影響力が絶大であることが証明されたのだから。
この男フーバーは、キング牧師の時代も現役のFBI長官であった。
奇しくも、中根とキング牧師は、同じ人物を敵に回して闘ったのである。

日本降伏の知らせに喜ぶNY市民

玉音放送により日本の敗戦をしり涙する人々

敗戦によって消された記憶

第2次世界大戦のまっただ中、アメリカのアキレス腱に単身で乗り込み、最も効果的な方法で、アメリカ国内の
軍需産業の息の根を止めようとした中根中という男は、和製『007』と呼んでもいいほどの働きをなした。
しかし彼の存在は歴史から消し去られていく。
それはアメリカの黒人たちの期待もむなしく、日本が戦争に負けたからだった。
日本はアメリカに占領統治され、彼らの希望であった「Japanese Imperial Army」は消滅した。
もはや戦うことができない国となった日本が、彼らを助けにきてくれる可能性はなくなった。
白人国家転覆をねらったアジテーターである日本人への支持を表明していた事実は、国家への反逆者としての烙印を押されるだけの不都合な真実となってしまった。
それゆえ、必然的に中根の記憶は消されていったのだった。

1963年デトロイト大行進 Photo courtesy of Walter P. Reuther Library, Wayne State University

キング牧師の名演説誕生秘話

1963年6月23日、デトロイト大暴動が鎮圧されてからちょうど20年後の同じ日、デトロイトで「Walk to freedom」という黒人たちによる平和大行進が行なわれた。
それは、それまでの公民権運動の中で最大のものだった。およそ、125,000人以上が参加したと記録されている。

C.L Franklin
(Walter P. Reuther Library,
Wayne State University)

アレサ・フランクリンの父で、公民権運動の指導者のひとり、C.L フランクリン牧師が行進を先導した。

数々の指導者たちが演説をする中、キング牧師はメインスピーカーとしてコボホール・アリーナに集まった熱狂する大群衆を前に演説した。

コボホール・アリーナで演説するキング牧師

そしてこのとき、後に歴史に残ることとなるキング牧師の名演説「I have a dream」は誕生したのだった。
一般に知られているのは、この2ヶ月後にキング牧師自身が率いたワシントン大行進での演説だ。
しかし実は、この名演説はワシントン大行進の2ヶ月前、デトロイトでなされたものが最初であった。
デトロイト大行進こそ、キング牧師の名と共に歴史に刻まれたI have a dream スピーチの誕生の場なのである。

そしてこの日、即ち6月23日は、20年前のデトロイト大暴動が鎮圧された記念日である。
デトロイト大行進の目的の一つは、実はこの大暴動の追悼だったのである。
20年前のデトロイトで、白人支配打倒のために立ち上がった勇気ある黒人たちをたたえ、命を落とした多くの同胞たちを追悼するため、この大行進の日程は選ばれた。
そして、その追悼の大行進のエンディングで、キング牧師の感動の名演説は誕生したのだった。

デトロイトの空を染める倭の心

FBIから恐れられ、歴史から忘れられた男。人種差別に怒れる日本人。中根中。
彼の名は消えても、その意志を継ぎ日本とともに立ち上がった黒人たちの勇気とスピリットは生き続けた。
そして、1963年6月23日、キング牧師の抱いた「夢」とともに、集まった群衆たちの心をのせて、中根の日本精神はデトロイトの空に舞い上がったのだ。

Copyright:Fernando Martincic

我々は知らなければならない。
キング牧師が覚えられるところ、どこにでも、その影に隠れて忘れられた日本人中根中の魂と、その背後にあって黒人たちに勇気を与え続けた有色人種の星「日本」があったことを。

続きは、ぜひライブトークで!・・・.▶▶▶



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