キング牧師を描いた映画『グローリー/明日への行進』(6月19日公開)の
テーマ曲「Glory」をHEAVENESEがカバー!!
「日本人だからこそ観るべき映画」そう語るHEAVENESEリーダー、マレ
今、なぜグローリーなのか。
その思いに迫る!!!
今のアメリカは黒人奴隷たちがいなければ存在していない。
1776年、アメリカ合衆国がイギリス本国から独立した。しかしその直後から奴隷制は合法とされた。
黒人種は劣等民族だから、白人と同じ人間として扱わなくてもいいという悪魔のような考えが、法律で定められていた国。
それがアメリカだ。
アフリカの黒人は、ヨーロッパの奴隷商人たちの手により商品として売買され、大量にアメリカ大陸に運ばれた。
17世紀から19世紀にかけて、実に1200万人ものアフリカ人がアメリカに売られていったのだ。
1860年、アメリカ合衆国総人口の14.1%にあたる395万人が黒人奴隷だった。
アメリカ合衆国の繁栄は、アフリカから強制的に連行した黒人奴隷の労働の実を搾取したことでなしとげられたものだ。
さらに、黒人たちを恐怖に陥れたのはKKK (クー・クラックス・クラン)に代表される過激な白人至上主義団体の存在だった。
白装束で、頭全体を三角白頭巾で覆う不気味な出立ちの集団である。
彼らによる、黒人教会の焼き討ちやリンチ、殺人、婦女子のレイプが横行した。
しかし、彼らの犯罪行為は罰せられることはない。
たとえ殺されても、弁護士も判事も黒人たちを守ってはくれない。
それどころか警察による黒人殴打事件は日常だった。
法律的に『劣等民族』という烙印を捺されて生きることの悲惨は想像を絶する。
1900年代初頭から、米国内における人種差別に戦いを挑んだ人物がW・E・B・デュボイスである。
彼は『全米黒人地位向上協会』(NAACP/National Association for the Advancement of Colored People)の創立者の一人で、アメリカ黒人として初めてハーバード大学から博士号を取得したインテリだ。
米国における公民権運動は、彼によってはじまり、キング牧師が受け継いだとも言えるかもしれない。
キング牧師より61歳も年上のデュボイスと、キング牧師の活動が重なっていたのは、デュボイスの晩年の数年だけだが、公民権運動の真っ只中のキング牧師に、激励の詩を送るなど、若きキングに後継者としての期待をかけていたことが伺われる。
しかし彼は、1964年の公民権法成立を待たずに、その1年前、95歳で世を去った。
キング牧師は、1968年『デュボイス生誕100年』を記念する集会で、追悼演説を行っている。
デュボイスがいなければ、公民権運動もなく、キング牧師の活躍もなかっただろう。
デュボイスは、キング牧師が最も敬愛した指導者の一人であり、紛れもなく20世紀のアメリカ黒人社会で最も偉大な思想家の一人に数えられる。
人種差別との戦いに挑んだデュボイスが、生涯忘れ得ぬ体験として記録した出来事がある。
それは、彼が1936年に来日したときのことだった。
満洲に1週間、支那に10日間、日本に2週間滞在した彼は、日本での感動的な体験を「忘れがたい経験」と題したコラムとして「ピッツバーグ・クリア」紙に掲載したのだ。
以下がそのストーリーだ。
デュボイスはその日、東京の帝国ホテルのフロントで勘定を払っていた。
すると、そこに『いかにも典型的なアメリカ白人女性』が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。
ところが、ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせず、デュボイスへの対応を続けた。
勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ人女性の方を向いた。
というのだ。
日本人からしてみれば、ごく当たり前なこの場面。
しかし中国で彼が見たものは、まるで違っていた。
4歳くらいの白人の子供が、中国人の大人3人にむかって「どけ」と言った。
すると驚いたことに、大人たちは慌てて道を明けたというのだ。
これはまさにアメリカ南部の光景と同じだった。。
「イギリス的な抑圧」や「アメリカ的ずうずうしさ」が微塵もない日本が、彼には、「有色人の有色人による有色人のための国」だと映った。
デュボイスは、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感したという。
彼は言う。
ー 母国アメリカではけっして歓迎されることのない一個人を、 日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。
日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が、同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っていることを、 心から理解してくれているのだ。
デュボイスは、日本の中国大陸への進出や、満州国建国について、アメリカ国内の黒人知識人層の中から批判がおきたときでさえ、徹底的に日本を擁護し、黒人世界きっての大親日派となった。
それは彼が実際に、大陸と日本を訪れその違いを目撃し体験したからに他ならない。
日本人を貶めるためにメディアが垂れ流すプロパガンダとしてのニュースではなく、実際に体験した「日本」と日本人の「まごころ」が彼を生涯の大親日家へと変えたのである。
彼にとって、日本こそが有色人種の希望だった。
歴史学者レジナルド・カーニーも、デュボイスがここまで親日であった理由は「日本が世界で唯一、肌の色による差別を生み出さない国」だったからにほかならないと書いている。
アメリカの黒人知識人の中で群を抜いたオピニオンリーダーであり、頭脳において白人たちと対等に渡り合うことができるデュボイスが抱いた、心からの日本への「敬慕の情」が、黒人たちの日本観に大きな影響を与えたのは言うまでもない。
そのデュボイスが、思想的にアメリカの黒人全体に絶大なる影響を与え、公民権運動は大きなうねりとなっていく。デュボイスの確信は日本が「世界を変える力となる」ことであった。日本こそが有色人種の希望のだったのだ。彼の思想や行動の根底に日本に対する絶対的な信頼があった。
彼の活動に力と確信を増し加えさせたのは、日本だったのである。
ゆえに、公民権運動の遠因に他ならぬ日本が希望の星として存在していたという事実を、我々はしっかりと認識するべきだ。
公民権運動とは、日本人と無関係ではなく、むしろ日本と日本人の存在が起爆剤となったという側面があるのだから。