キング牧師を描いた映画『グローリー/明日への行進』(6月19日公開)の
テーマ曲「Glory」をHEAVENESEがカバー!!
「日本人だからこそ観るべき映画」そう語るHEAVENESEリーダー、マレ
今、なぜグローリーなのか。
その思いに迫る!!!
I have a dream!!(私には夢がある)という演説で有名なマーチン・ルーサー・キング牧師の名前は日本でもよく知られている。
彼は、アメリカ社会における「人種差別」と戦った英雄だ。
公民権運動を指導し、自由を勝ち取るための戦いで弾丸に倒れた殉教者でもある。
アメリカは、史上初の黒人大統領が治める国になった。
しかし今も尚、アメリカ社会には、有色人種への差別は存在している。
とりわけ、黒人を劣等民族とみなす偏見は根深い。
この映画はアメリカ社会が抱える最も深刻な「人種差別」というアキレス腱を真正面から取り扱った映画であると同時にキング牧師を人並みはずれた巨人としてではなく、苦悩する運動家として、また黒人解放という高貴な目標と、夫婦関係という優劣のつけようのない二つの事柄の間で揺れ動く一人の男として描いている。
そして同時に、劣等民族という烙印を押され、数世代にわたり人間以下の扱いを受けてきた黒人たちの苦難の歴史の中でも、なお消えることのなかった神への信仰という不条理を乗り越える力の強さをドラマチックに描いている。
この映画の原題はSelma(セルマ)。
邦題は『グローリー/明日への行進』だ。
セルマというのはアラバマ州にある小さな町の名前だ。タイトルでわかるようにこの映画はセルマで起こった歴史的出来事を主題にしている。
この歴史的事件を知らないと映画を観てもよくわからない。そこで、簡単におさらいしてみよう。
今でも人口3万人に満たない小さな田舎町で、一体なにがあったのかを・・・。
1965年3月7日。日曜日早朝。
白人の家庭では、おめかしした子供たちが日曜学校に出席するため、親が運転する車で教会に向かう。
親たちは日曜学校に子供をあずけた後は、礼拝堂で賛美歌を歌い、牧師のお説教に耳をかたむけ「神の愛」をかみしめ祈りを捧げる。
古き良きアメリカのごくありふれた日曜日の朝だ。
当時、セルマ市における黒人人口の割合は全体の50%を超えていた。
それなのに、有権者登録されていた黒人はたった150人。2%もいなかった。
彼らは、行政からの嫌がらせや脅迫などの不当な手段により、憲法で保証されている当然の権利さえをも剥奪されていたのだ。
ジミィ・リー・ジャクスン
マハトマ・ガンジーに触発され、無抵抗主義をつらぬく公民権運動の指導者キング牧師に導かれた人々は、約1ヶ月前に白人警官に殺害された黒人青年Jimmie Lee Jackson(ジミー・リー・ジャクソン)の死への怒りを平和行進というポジティブなエネルギーに変換した。
煮えたぎる怒りをおさえ、暴力に訴え出ることもなく、暴動を起こすこともなかった。
誰もが神への祈りを捧げる日曜日。彼らはただ、人として当たり前な権利を求めて、平和的に行進を始めたのだった。
ところが、ほんの数ブロック歩いたところにあるセント・ペタス・ブリッジの向こう側に、彼らの行進を阻止すべく、白人警官隊が待ち構えていた。
アラバマ州知事の命令により派遣されたのだ。
行く手をふさいだ警官隊から声が響く。
「行進は続けるな。ただちに家か教会に引き返せ」
しかし彼らは引き返さない。
すると警官隊は無抵抗の黒人たちにむかって容赦なく襲いかかった。
催涙ガスでむせぶ人々の上に、力ずくのこん棒が振り下ろされる。
逃げまどう人々に鞭がしなる。
怒号と悲鳴。そして流血。
ただ単純に、市民としての当たり前な権利を求めた人々は、「肌の色が違う」というたった一つの理由で、家畜のようにけちらされていった。
しかし、この日の出来事は、その夜、メディアを通じてアメリカ全土に配信された。
こともあろうに、この暴力はテレビカメラや記者たちの前で行われたのだった。
善良なアメリカ市民たちが楽しんでいた平和なディナーの時間は、無抵抗の黒人市民への警察の暴力という信じがたい光景によって破壊された。
彼らは自国で起きている人種差別の現実を、あらためて突きつけられ、衝撃を味わったのだった。
ーあなたがたの互いの間に愛があるなら、人々はあなたがたが私の弟子であると知るであろう・・・
これはキリストの言葉である。セルマがあるアラバマ州はバイブルベルトと呼ばれる地域の真ん中に位置する。
そこではキリスト教が熱心に信仰されている。
しかしキリストの教えは人種の壁に阻まれ空文化していた。
ジェームズ・リーブ
キング牧師はテレビを通じて全国の聖職者たちの良心に訴えかける。
「黙ってみているだけでいいのか?」と。
救いは、彼の呼びかけに呼応する人々がぞくぞくとセルマにかけつけたことだ。
カトリック、プロテスタントを問わず、多くの白人聖職者たちが全国から集結した。
アメリカの良心は機能していた。
そんな中、心ない白人至上主義者により、ボストンのユニテリアン派キリスト教会牧師ジェームズ・リーブ(38)が殺害される。
この事件が報道されると、アメリカ全土で白人たちによる抗議デモが発生する。
しかし黒人たちは不満だった。
ジミー・リー・ジャクソン殺害事件では、冷ややかだった白人たちが、白人牧師殺害でようやく立ち上がったからだ。
同じアメリカ人であっても、殺される命の重さが違う。これが人種差別の現実だ。
キング牧師が指導する人種差別への戦いを支援しようと、平和行進への参加希望者は増え続けた。
アメリカ各地で起る人種差別反対をうったえるデモも増加していった。
連邦裁判所は、投票権を求める平和行進を「合憲」と認め、大統領命令により、アラバマ州がこの行進を妨害することを禁じた。
そして3月21日、セルマからスタートした大行進は、連邦政府の指揮の下、数千名の州兵に保護されて、5日後の3月25日、無事に州都モンゴメリーに到着した。
参加者の数は2万人にふくれあがっていた。
全世界が注目したセルマの出来事は、公民権運動における歴史転換点となったのだった。
行進の終着地、モンゴメリーで、群衆にむかって演説したキング牧師の言葉が空に響き渡る。
『グローリーハレルヤ!神に栄光があるように!』
しかし、3年後の1968年4月4日、テネシー州メンフィス市内のモーテルで、ジェームズ・アール・レイという白人の男によってキング牧師は暗殺された。