20日から開催されているジャパンカルチャーウイークのシャバット(安息日)前のメインアクト。
いよいよ、メインのイベント出演の初日を迎えました。
本番は午後一時。快晴です。真っ青な青空。湿気もなく過ごしやすい気候。
日向は暑いけれども、日陰は涼しい高原のような清々しさです。
会場のファーストステーションは、出店やレストランがにぎわいを見せています。
建物の中ではジャパンワークショップも行なわれ、レセプションの時とは打って変わって、会場を仕切る幕は取り払われています。
12時半から頃、簡単なサウンドチェックを始めると、まだ衣装に完全に着替えていない中途半端な姿のメンバーたちなのに、そこに集まっている人々が一斉にシャッターを切り始めました。
マレが「13時から始めるよ〜」と言ってステージをおりると、たったそれだけのことなのに盛大な拍手が起こりました。
集まっている人の誰も、HEAVENESEの演奏を観たことがないはずなのに、すでに会場には期待が満ちていて、なんとも不思議な感覚です。
あえて言えば、「必ず大成功するということが分かっていた」というような感覚でしょうか・・・。
開演時刻が迫ると、サウンドチェックからたった15分の間に、会場の椅子席は一杯に。
ステージすぐ下の周防オペースには、人々が直に座っています。子供たちの姿もあります。
皆がまるでスターの登場を待ちこがれるような表情で、いまかいまかと、HEAVENESEの登場を待っています。
そして、午後一時過ぎ、ついにHEAVENESEエルサレム公演は開演しました。
これぞ日本の民謡だ! という「ラッセラ」のお囃子からヨサコイ風の踊りが始まると、会場中は「これが見たかった」という表情を浮かべ食い入るように見ています。
そしてイスラエル用に設定されたオープニング曲 You are good。
曲が終わったかに見えたそのとき、ピアノがハヴァ・ナギラをおもむろに引き始めると、会場からは笑顔が。
そしてそのまま、ヘヴェヌシャロームへと続き、バンドとオーディエンスが一体となってイスラエル民謡を大合唱。のっけから会場は一つとなりました。
学校公演は子供たちばかりでしたが、今日は老若男女あらゆす世代が集まっています。 けれども、この日も「どーよ」「いーよ」は大いに盛り上がりました。 老若男女みなが「いーよ」の大連呼です。
コンサート中盤で、今回のエルサレム公演のハイライトがやってきました。
メンバーが渡航直前にリハーサルをして特別に用意した曲が、初めて披露されたのです。
それはイスラエルでは知らない人がいない偉大なミュージシャン・イダン・ライヒェルの大ヒット曲 Mima’makimです。
エチオピア語で始まるエスニックな楽曲が、日本の民謡のメロディーから始まる楽曲に生まれ変わりました。
キャッチーなボーカルのメロディーが響き渡った瞬間、会場中に響いた大きな拍手と歓声はステージ上のメンバー一人一人にしっかりと届き感動を与えました。
後半のサビは、みなで大合唱です。
HEAVENESEとオーディエンスは、完全に一つになりました。
曲が終わったとき、会場を包んだ拍手はひときわ大きく、止めどなく続きました。
マレ曰く「今まで多くのステージを踏んで来たが、一度も味わったことのない感動がこみ上げてきて胸が一杯になった」
瞬間です。
そしてこの日、会場を埋め尽くした人々に、マレのショートメッセージが届けられました。
昨日の学校に続き、イスラエル軍がしてくれた震災後の復興支援活動に対する感謝を述べると、人々は盛大な拍手で応えます。
さらに「和を持って尊しとなす」という日本の教えから、融和がいかに大切かを語るマレ。
ガザとの停戦直後であることは重々承知していました。
パレスチナ人との間には紛争長く続いている難しい政治的状況が存在していることも理解しています。
彼らは、領土問題で戦っています。
それでも、そのまっただだ中で、マレは大胆に「融和」の大切さを訴えたのです。
そして彼はエルサレムの人々を励ましこう結びました。
「皆さんは人種のるつぼに住んでいることを通して、自分と違う人を受け容れるという大事な模範を示しています」と。
マレのメッセージに、人々は惜しみなく拍手を送りました。涙を流している人もいます。
折しも、ガザへの攻撃は世界から非難され、イスラエルへの風当たりが強くなっていました。
彼らは自分たちのことを世界が悪く言っていることを知っています。
他国の人から批判され、世界的に広がった反ユダヤ主義的傾向に、一般庶民は深く傷ついていたのです。
そんな彼らにとって、遠く東の国からやってきた日本人から贈られた言葉は、大きな励ましとなったようです。
そして、HEAVENESEのリーダーマレにとって、感慨深いときがやってきました。
それは、ついにとき満ちて、エルサレムの地で「シルクロード」を歌ったときです。
この曲は、まさに古代イスラエル人が、紀元70年のエルサレム陥落後に、自由を求めてシルクロードを東へと旅をして日本に辿り着いたという歴史ロマンをテーマにしている曲です。
エルサレムは日本語にすれば「平安京」。
その都は渡来人として知られる『秦氏』と和気清麻呂によって造られました。
世界に2つだけ存在する同じ意味の都。
「エルサレム」と「京都」
この2つを結ぶのがシルクロード。
巷に流行の「とんでも説」ではなく、極めて真面目に『秦氏』の研究を地道に続けてきているマレにとって、秦氏が古代イスラエル系の文化圏に生きていたセム民族であった可能性は有力なものです。
そんなマレにとっては、この曲をエルサレムで演奏することに対しては特別な思いがありました。
イスラエル民族の離散の歴史や、古代の日本に到達していた可能性について言及し、渾身の思いを込めてシルクロードを演奏すると、まだコンサートは終了していないのに、会場中がアンコールを求める拍手で一体化しました。
コンサートが終わったのだと思わせるのに十分なラマチックな曲だったのでしょう。
彼らの心に、祖国をおわれ、安息を求め旅する民族の歴史が重なったのかもしれません。
予定演奏曲目を終了してもなお、オーディエンスからのさらなるアンコールを求める拍手は鳴り止みませんでした。しかしステージサイドでは、終わった直後から人々がメンバーに駆け寄り「写真をとってくれ」の波状攻撃が始まっていました。
学校での子供たちの純真さと同じように、今日は大人たちも写真をともに撮ることを求めて近づいてきます。
そんな人の波をぬけて、ステージ下手の物販ブース近くまで、ようやくのことで近づいたマレに、50代くらいの女性が近寄って来て涙を流し感激してこう語
るのが聞こえてきました。
「みなが、あなたのような考えをしたら、世界は平和になるのに・・・」
マレはこのときの様子をこう手記に残しています。
『僕は彼女の言葉と涙の重さに言葉を失い、しばらく絶句した。
音楽とメッセージを通して、彼女の魂に触れるものを提供することができたのだという事実に圧倒された。
それは、ここがイスラルだからである。
彼らが「平和」を口にするとき、それは個人的な問題とはわけが違う。
それは民族存亡の問題であり、ホロコーストの歴史であり、日常茶飯事となっているテロや命の危険と隣り合わせている者のみが共有し ている叫びなのだ。**
この国で平和という言葉は軽くない
このような複雑な国に生きている女性から「あなたのように考えれば平和が来る」と涙を流して語る言葉を聞いたとき、僕は一体どれほ どの存在かと自分が恥ずかしくなった。
しかし同時に、コンサートを通して語り続けてきているメッセージは、今も苦s難の歴史をリアルタイムで歩み続けている国でも有効なこ となのだと思わされ
た。
和を尊ぶ日本精神のメッセージと、HEAVENESEのエンターテイメントが、音魂となって彼らの心にしみ込んだのだとで実感 し、魂の深いところで、何かがつながった瞬間だった』
こうしてシャバットに突入した夜、
HEAVENESEはエルサレムでの歴史的第一歩を刻みました。
それは、コンサートをこえたあまりにも深い体験でした。
この日を私たちは決して忘れはしないでしょう。