第2回新人監督映画祭テーマ曲, 11/4 avexより全国へ!

Samurai BRIDGE

制作秘話

Marre インタビュー

世界にむけて英語で書いた曲。テーマは『武士道』

── Samurai BRIDGEのインスピレーションについて教えてください。

M.第二回新人監督映画祭のテーマ曲をやりませんか?というお話をいただいたのがきっかけです。この曲が映画祭のテーマ曲として使われました。
レーベルプロデューサーの方から、海外を意識したもので、できれば英語の歌詞。そして太鼓がフィーチャリングされているもの、というご注文をいただいたことから始まったんです。
ですから、はじめからJ-pop感のない洋楽路線で制作するつもりで始まりました。

── HEAVENESEは、もともと洋楽でしたよね。アンドレ・クラウチがプロデュースですし、アメリカのStilettoflats MusicでデビューCDをリリースしたのが2012年で、日本では逆輸入アーティストという立場でしたからね。

M.そうなんですよね。そもそもアメリカで活動するのが目的で結成されて、ステージングもなにからなにまで、アメリカでどう見せるかという視点で作り上げられてきましたからね。
お陰さまでアメリカには3度行きましたし、去年はイスラエルも行きました。
でも、日本での活動も忙しくなって、最近は日本人向けになってきていました。日本目線というか。
それが悪いという訳ではありませんが、今回のSamurai BRIDGEで、再びHEAVENESEの原点に戻ったという感じがします。つまり、曲づくりのはじめから世界を意識して制作したという意味です。日本の心で「世界」を意識したサウンドになっています。

── この曲のテーマについて教えてください。

M.ずばり『武士道』をテーマにしています。
日本の心を世界に紹介するのが目的で歌詞を書きました。
日本の心といえば「和を以て尊しと為す」に代表される「和」ですよね。
徳川260年の天下泰平の時代というのは、まさにその精神の結実した時代だったとも言えます。
世界史的にみて、こんなに長く戦争がなかった時代はここだけですからね。
徳川時代が完全だったとか、理想郷だったというつもりはありません。けれども、統治階級であった武士たちが重んじた生き方は、身分をこえてお百姓さんや商人たちにも決定的な影響を与えていました。
特定の宗教教育がなかった時代に、日本人の集団意識を貫いていたのはまぎれもなく「武士道」だったと思います。
ですから、日本の心と武士道とは切ってもきれないものですよね。
新渡戸稲造もそれを世界につたえようとして、英語で『武士道』を書きましたよね。
この曲は、新渡戸と同じ思いで書いた曲だと言っても過言ではありません。
世界の人に日本の心を紹介するために書いたんです。

── 1曲目に The Code of the Samurai (武士道)という曲がありますよね?

M. そうです。一曲目はまさにタイトルも武士道です。この曲では、英語のMCで武士道を紹介しているんです。一曲目はイントロで、この曲が本編、という考え方ですね。

── なるほど。Samurai BRIDGEというタイトルについてですが、これは誰がつけたのですか?

M.ヘヴニーズカンパニーのチーフ・プロデューサーがいきなりミーティング中に言い出したものなんです。『マレさん、タイトルなんですが、Samurai BRIDGEでいってください』って。
BRIDGEというのは、HEAVENESEの活動のキーワードで、毎週水曜日に活動拠点である調布市仙川のキックバックカフェという場所でHEAVENESE BRIDGEという「日本精神」を発信するイベントをやっています。
実はコンサート活動よりも、このイベントがHEAVENESEの活動の柱なんです。
 
新渡戸稲造は、かつて「我、太平洋の架け橋たらん」と言いましたが、僕たちはその意志を受け継いで、日本の心で世界をつなぐ「橋」としての働きをさせていただきたいと願っているんです。
その意味で、常に「BRIDGE」が大切な意味を持っていて、チーフプロデューサーは、日本の心の神髄でもある「武士の心」で世界に橋をかける、という意味で「Samurai BRIDGE」でいくと言ったんですね。
「あとは、マレさん、降りて来るでしょう」って。(笑)
まだ曲はないけど、タイトルをつければなにか降って来るだろうっていうわけです。

── じゃあ、タイトル先行だったんですか?

M.そうなんです。英語の洋楽路線で太鼓フィーチャリング。タイトルは「Samurai BRIDGE」。
あとはよろしく!っていうことで制作がスタートしたわけです。

── 面白いですね。そういう制作スタイルはどうなんですか?

M. 僕にとっては普通なんですよ。本も書いてるじゃないですか。本の場合、殆ど編集者さんが企画を持って来るんですよ。こういうテーマで、この路線で、この読者層にむけて書いてくれってね。だから、僕にとっては慣れてるスタイルですね。

クミコが描いた「概念」に具体的な線を書いた

── 実際の制作現場について教えてください。曲を書くときはピアノで書くんですか?Samurai BRIDGEはどのようにして書き上げたのでしょうか?

M. そうですね。ピアノで書くときも多いですが、ただ何も楽器を使わず口ずさむことも多いです。気になったメロディーは録音しておきますから、常にサンプルメロディーは沢山ストックがありますね。

── イントロもなくいきなり始まる出だしはかっこいいですね。

M. この曲の出だしは、クミコが英語で歌う前提で、少し前に書いたメロディーなんです。今回のお話を頂いたときに、すぐにこれでスタートしようと思ったんです。

── じゃあ、そのとき既に歌詞があったんですか?

M. いえ、歌詞はSamurai BRIDGE用に書きました。

── この曲の特長として際立っているのは、そのあといきなり、民謡風の『おおー』という歌詞のないチャントになるところだと思うのですが、あの展開はとてもドラマチックですね。

M.そうですね。あそこは評判がいいです。ジャパニーズソウルでしょ?
実は、タイトルが決まったミーティングの席にクミコも同席していたのですが、ミーティング後から、しきりに「こういう感じがいい」と言い始めたんですね。曲の世界観です。
で、「チャントのようなものがあって」と、いろいろアイデアを言ってくれたんですね。
言ってみれば、青写真というか、曲の「概念」的なものを与えてくれたんです。

── 曲の概念ですか?

M. そうです。具体的なメロディーとか、コード進行というのとは違って、どういう世界観にするかっていうことですね。映画でいえば「コメディ」とか「ロマンス」とかありますよね。どんなタイプの主人公で、どういう時代で、どの街で・・・みたいなことがいろいろありますよね。そういうことです。『色』と言ってもいいですね。それをクミコが投げて来たんです。

── なるほど。

M. 例えば、クミコが「これがサムライのリズム」って言うので、「どこが?」ときくと「戦いの感じ」というので、「今回は和がテーマだから戦いじゃない」とかね。すると、戦いじゃなくてもサムライの心が伝わるリズムはこんな感じ・・・みたいなそういうのをぶつけ合いました。
まあ、制作会議とも言えますね。
クミコが投げたボールを受け取って、僕の中で消化して、ああ、これだなと視界が開けた瞬間があったんですね。それであとは具体的な「線」を書いた感じですね。

徳川宗家19代との出会いがあったから出来た!

── この曲が完成するために、重要なキーパーソンとして、徳川家広さんがいると伺ったんですが。

M. そうなんです。彼との出会いは劇的で、この曲は彼の一言で完成したと言っても過言ではありません。

── 興味深いですね。

M.先ほどの「おおお」というチャントのところの話にもどりますが、僕がメロディーを書いて、クミコに歌ってもらったときは、もう少しブラックな感じをイメージしていたんです。
民謡風ではなくてね。
でも、徳川さんとの出会いがすべてを変えました。
彼との出会いの後、クミコが「ここはこういう風に歌うよ」って、クミコ独特の民謡風の歌い方に変えたんです。
結果的にそれが良かったですね。

── なにがそうさせたのですか?

M. 実は9月の終わりに静岡で、家康公四百年祭「駿府天下泰平まつり」というのがあって、HEAVENESEは前夜祭とフィナーレの両方で演奏させていただいたんです。
このお祭りは徳川家康公逝去四百周年を記念するもので、前夜祭には徳川宗家の次期当主の徳川家広さんも来賓として来られていたんです。
静岡市長の隣に座っておられて、ライブの後、わざわざ静岡市長が、お忙しいのに徳川さんを控え室までつれて来てくれたんです。
「徳川さんが、感銘されたそうです」と言って。

── わざわざ市長さんが?

M.そうなんですよ。
本当に市長さんのお人柄も素晴らしいのですが、何よりも感動したのは、徳川家広さんが、HEAVENESEに感銘して「涙でうるうるしながら聞いてましたー」と仰ってくださったことなんですよ。

── それは嬉しいですね。

M. はい。でも、もっと感動したのは、そのあとに、音楽のことをいろいろと聞いてこられて、「実は僕はワールドミュージックが好きなんです」と言うんですね。そして「HEAVENESEは、ワールドミュージックですね」というんです。
「日本初の世界に通じるワールドミュージックです!」と。
いやあ、これには感動しました。

── すごい褒め言葉ですね。

M.本当にそうです。実際にワールドミュージックに造詣が深くないと言えない言葉です。
僕は前述の水曜日のBRIDGEというイベントでも、家康公の功績や、徳川時代の素晴らしさを見つめなおすテーマでシリーズ講演をしたことがあるんです。
家康公は、やれ狸だ、いいとこ取りだなどと言われ、信長や秀吉に比べて人気がないんですよね。
でも、戦国時代の武士道を、完全に改革して泰平の世を築いた「精神改革」はすごいもので、彼の功績は現代で言えばノーベル平和賞以上だと外国では評価されているんですね。
その家康公の子孫で、時代が違えば「将軍」である方から、そう評価されたのは何とも感慨深いものでした。

── すごいことですね。

M. そのことがあって、僕やクミコの中にしっかりと「ワールドミュージック」という言葉が刻まれたんです。
去年、イスラエルにいったとき、現地のスーパースターであるイダン・ライヒェルとレコーディングを始めたので、その時以来ワールドミュージックっていうのは、僕たちの中にあったんですね。
J-popじゃなくて、ワールドミュージックだぜ!っていう思いが。
それが、今回の徳川家広さんの発言で、もう一度クリックしたというか、確証が与えられたような感覚ですね。

── 確かにHEAVENESEのサウンドはJ-popのカテゴリーにはおさまりませんよね。

M. そんな事があった直後、クミコが民謡風に歌った方がいいと言い出したんですね。
ワールドを意識したとき、日本人のソウルがここにこうやって来た方がいい!と言うわけです。
僕も彼女がそれを歌うのを聞いて「これだな」と思いましたよ。

── なるほど、徳川さんとの出会いがインスピレーションとなったわけですね。

M.そうなんです。実は、その一週間後のフィナーレの夜、駿府天下泰平まつりが終わった段階で、まだ歌詞ができてなかったんですよ。でも、チーフプロデューサーが、「今日、今から歌詞書いてくださいね。そうじゃないと歌詞カードの印刷に間に合いません」っていうじゃないですか。
それでホテルでクミコと書き上げたんです。
でも、家康公四百年祭に参加した余韻で、 一挙に書いた感じですね。
だから、徳川家広さんと、家康公四百年祭がなければできあがらなかった曲だと言っても過言ではありません。

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