キング牧師を描いた映画『グローリー/明日への行進』(6月19日公開)の
テーマ曲「Glory」をHEAVENESEがカバー!!
「日本人だからこそ観るべき映画」そう語るHEAVENESEリーダー、マレ
今、なぜグローリーなのか。
その思いに迫る!!!
アメリカで起こった公民権運動のうねりは、キング牧師の時代に頂点を迎えた。
そして、ついに1964年、人種差別を禁止する「公民権法」が成立したのだ。
「劣等民族」の烙印を押されていた人々が勝ち取った輝かしい栄光である。
その活動のまっただ中、私財を投げ打って公民権運動を支援した日本人がいた。
1930年のデトロイトに姿を現したこの男は、歴史から消され、語られることもなかった。
しかし、400ページを超えるFBIファイルが、彼の存在を歴史に刻んでいる。
その男の名は中根中(なかねなか)。
FBIから恐れられ、黒人から愛された日本人である。
DOO(Development of our own/我ら自身の発展)という黒人解放運動団体を設立し、驚くべきことに10万人もの黒人を組織した。
Satohata Takahashiの偽名を使い、タカハシ少佐とも呼ばれていた。
「ニグロ(黒人)たちよ!日本とともに白人支配を打倒するのだ!今こそ立ち上がれ!!」
彼のメッセージは過激だった。そして抑圧された黒人たちから熱狂的に支持された。
瞬く間に広がったDOOの運動は、速やかに当局の監視下におかれる。
そして中根は逮捕され、強制送還された。
しかし彼は再びデトロイトに舞い戻る。二度と入国できないはずのアメリカの国境をするりとくぐりぬけ、FBIを手玉にとった。
再び逮捕された彼は、第二次世界大戦後に釈放され、デトロイトでひっそりと息を引き取る。
ニグロたちにとって、彼は「日本からきた救世主」だった。
しかし、当局にとっては「国家転覆を目論む』危険人物だった。
果たしてかれは何者だったのか・・・。
短期間で驚くべき働きをした中根中。
彼は忘れ去られた孤高の侍である。
中根中は大分県杵築市で育った。第二次世界大戦終戦時の外務大臣「重光葵」と同郷だ。
しかし彼は突如教会から除名されてしまう。何があったかは不明だ。
もしかすると彼の私生活は、当時の南メソジスト教会の厳しい規律を逸脱するものであったのかもしれない。
キリスト教会を除名されたことは、中根の人生に大きな影響を与えたことは言うまでもない。
18歳で洗礼を受けて以来「この道で生きる」と勇往邁進し、南メソジスト派の布教に多大なる貢献を果たしてきた25歳のホープが、除名という憂き目にあったのだ。
将来の夢も、人生の方向性も、何もかもが狂ってしまうほどの出来事だったに違いない。
彼は、この体験を通してキリスト教に対して深く失望したのかもしれない。
後にデトロイトに姿を現した彼は、黒人たちへの演説の中で、激しいキリスト教批判を展開している。
しかし中根は30代に入ると、カナダへと単身渡っていく。
西洋文明への憧れか、あるいはメソジスト派の生みの親である英国人ジョン・ウェスレーへの崇敬の念からなのか、彼はアメリカではなく、当時、大英帝国自治領だったカナダへと旅立つのだ。
キリスト教会から除名はされても、キリスト教文明に対する尊敬を抱いていたのかもしれない。
彼が何を思っていたのか、今となっては知る由もない。
しかし、カナダは彼にとって安住の場所とはならなかった。
50代に入ると、実の弟が住んでいた米国シアトルにほど近い西海岸の街タコマの日本人街に移住する。
そこでの生活に、若い頃の希望に燃えた中根の姿はない。酒と賭博に溺れる。
そして数年後、妻も子どもも捨てて、彼はいなくなった。
すでに50才を超えていた。
そして1930年のある日、彼は突然デトロイトに現れたのだ。
DOOを結成し、黒人たちに連帯することを呼びかけた。
「日本と一緒に白人支配を打倒せよ!」と過激なメッセージを発したとき、すでに60歳を過ぎていた。