HEAVENESEリーダー・マレの手記(2014.10.24)

世界への新しい扉を開いたHEAVENESEの中東イスラエルツアー。
現地では、現在進行形で、想像を超えた大きな反響を呼んでいます。

今回はリーダー・マレのレポートをご覧下さい。

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2014.10.24

今日はシャバット(安息日)が始まる前のメインアクトだった。
本番は午後1時だ。
バンドは早くに現地入りし、我々夫婦(マレ&クミコ)は12時半頃現地入りした。
快晴である。真っ青な青空。湿気もない。最も過ごしやすい気候だ。日向は暑い。日陰は涼しい。
会場のファーストステーションというのは19世紀にたてられた歴史的建造物だ。
鉄道の駅だったところで、今は西エルサレムのエンターテイメントの中心のような複合施設になっている。
日本でいえば、さながら横浜の赤レンガのような場所だ。その中心に、野外ではあるが、屋根で覆われているイベントスペースがある。
そこが「JAPAN WEEK」のエンターテイメント会場だ。

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12時半からのサウンドチェックを始めた。

まだ衣装に完全に着替えていない中途半端な状態だが、すでにそこに集まっている人々が写真を撮りまくる。
「13時から始めるよ~」と言ってステージをおりると、その段階で盛大な拍手が起こった。
まだ誰も我々の演奏を観たことがないのに、すでに会場には期待が満ちている。なんとも不思議な感覚だ。
あえて言えば、「必ず大成功するということが分かっていた」という感じだ。

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1時少し過ぎ、演奏開演した。
イベントの司会進行役はいない。突然いつものHEAVENESEのオープニング映像の音声だけを流した。
バンドがステージにあがると盛大な拍手がわく。そしてボーカルがステージにあがると、よりいっそう大きな拍手が会場を包む。
会場には椅子席もあるがすでにいっぱいだ。ステージのすぐ下には椅子はないが、人々が直に座っている。子供たちもいる。
皆がまるでスターを見つめるような目で興奮しながら観ている。

どうしてこんなに嬉しそうにしているのだろうと、つくづく不思議に思った。
「どーよ」にも「いーよ」と大きな声で応答する。
イダン※の曲を歌ったとき、「Nannu」と歌いだした瞬間に拍手が起こった。会場全体を大きな拍手がつつんだ。今まで多くのステージを踏んで来たが、一度も味わったことのない感動がこみ上げてきて胸が一杯になった。

※イダン=(イダン・ライヒェル)イスラエルの国民的スター、今回HEAVENESEと共作の話しが進行中

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短い時間ではあったが「和を持って尊しとなす」という日本の教えから、融和がいかに大切かを語った。
エルサレムの人々は、まさに人種のるつぼに住んでいることを通して、自分と違う人と受け容れるという大事な模範を示していると語ると盛大な拍手が起こる。

日本を発つ前、医療関係者から「イスラエル軍に震災後の大規模支援に感謝してきてほしい」というメッセージを託された。そのことを伝えると、また会場に大きな拍手が起こった。

ガザへの攻撃は世界から非難され、イスラエルは世界的に批判されている。
彼らは自分たちのことを世界が悪く言っていると知っている。
だから自分たちをよく評価してもらえることは、大きな励ましなのだ。今回の旅でそれをひしひしと感じた。
彼らも傷ついている。政治とは全く別の次元で多くのイスラエル人が心の底から平和を望んでいる。

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「Silk Road」の前に秦氏の話を短くしてから、渾身の想いを込めて歌った。
イスラエル人の前でこの曲を歌うことになる日がくることは、常に思い描いてきたことであったが、それが実現している瞬間は、思いがけずかなり冷静だった。

古代イスラエル部族が日本にやってきたという話は、どのように響くだろうかという単純な興味の方が勝っていた。
しかし、アラブ人がいることも想定して、ジューイッシュではなく、古代のセム民族と言った。これならば双方に通じる。

シルクロードを歌い終わると、まだコンサートは終了していないのに、会場中がアンコールを求める拍手で一体化した。
コンサートが終わったと思ったと思わせるのに十分なドラマチックな曲だったのだろう。
彼らの心に祖国をおわれて、安息を求め旅する民族の歴史が重なったのかもしれない。


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和太鼓演奏「3N1」の前に話した「奇跡の太鼓」の物語※2はイスラエル人を大いに感動させたようだ。
教会の貸し切りでも話した、例の太鼓ちゃんの話だ。しかも、その太鼓ちゃんたちは、エルサレムではなくハイファにいた、というのが、オチとなって大うけした。

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※2太鼓ちゃん物語=イスラエルに絶対無いと言われていた和太鼓が、ちょうど人数分(9個)ハイファの博物館に寄贈され、誰も使用していない状態でHEAVENESEを待っていてくれた、という奇跡のストーリ(!)メンバーあまりの感激に「太鼓ちゃん」と命名。 サックス小池は頬ずりをしたとか。

 

イスラエル人は太鼓が本当に好きなのだ。
太鼓の演奏の後の拍手はひときわ高く、開演直後は遠慮がちだった彼らの反応は、このときに至って「最高潮」に達した。立ち上がってアンコールを求めている。しかし今日予定していた演目を終了したので、コンサートを終えた。

終わった直後から人々からの「写真とってくれ」攻勢が始まった。
ステージ横で待ち構えていて、階段をおりば僕を捕まえ「写真を一緒にとってもいいですか』と近づいてくる。次から次へとやってくる。
もし自分が、名も無いアーティストのコンサートを観て、それが良かったからといって、ここまで熱狂してわざわざ写真を一緒に撮ってほしいと追いかけるだろうか?と考えると、おそらく絶対にやらないだろう。
それなのに、多くの人々が、若い子も大人も一目散にやってくるという現実は、どう考えても普通のこととは思えない。
別に我々は有名でもなんでもないのだから。

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写真をとってくれ攻勢をこなしながら、ステージ上手から、下手の物販ブース近く到着すると、一人の50代くらいの女性が近寄って来た。

そして、涙を流しながらこう言う。

「みなが、あなたのような考えをしたら、世界は平和になるのに・・・」
そして彼女はこう聞いた。
「それが、神道というのですね?」

僕は彼女の言葉と涙の重さに言葉を失い、しばらく絶句した。

音楽とメッセージを通して、そして我々のミュージシャンシップと、かもしだす雰囲気と、存在そのものを通して、彼女の魂に触れるものを提供することができたのだという事実に圧倒された。

それは、ここがイスラルだからである。

彼女の様子は、その言葉がお世辞や社交辞令や、ただの日本文化ファンのそれではなく、心のそこからの感動をあらわしていることは明らかだった。

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実は、コンサート後に、同じようなことを言ってくれる人は多い。
「あなたの歌、メッセージに励まされました」と、涙を流しながら感想を述べてくれる人々だ。
そのような人々から言葉は、いつも心から嬉しいし、その都度、そんな彼らが短い時間だけれども、握手やサインをしている間にシェアしてくれる内容は、とても胸を打つ。

自分がどんな境遇で、どんな辛いところを通って来たか。
しかしどれ程HEAVENESEの音楽、あるいは語られるメッセージがタイムリーで励ましとなったか、ということを熱を込めて語ってくれるのだ。
「ああ、自分がこの人の人生の役に立てたのだな」と実感できる瞬間だ。

けれども、不謹慎な言い方だが、僕はそういう現実に慣れていた。
いや、慣れていたのだということに気づかされた、と言った方が正しい。
この国、イスラエルでは、日本やアメリカとは、生活の状況は全く違う。

彼らの抱えている問題は、もちろん個人的なこともあるだろうが、彼らが「平和」を口にするとき、それは個人的な問題とは意味が違う。
それは民族の存亡の問題であり、国家主権の問題であり、領土の問題であり、繰り返されて来た殺戮の問題であり、先祖がくぐり抜けて来た苦難の歴史の証言であり、ホロコーストをくぐり抜けた生き残りとしての言葉であり、日常茶飯事となっているテロや命の危険との隣り合わせている者のみが共有している嘆きと叫びから出てくる言葉である。

そんなイスラエル人が口にする平和という言葉は、平和の中で平和のありがたさを感じることのない日本人が語るそれとは全く違うし、きっと日本人は平和を理解していない。そのことが、イスラエルで実感する一番大きなことかもしれない。

この国で平和という言葉は軽くないのだ。

そして今、イスラエルはパレスチナ自治区を分離する壁をつくり、世界的に非難の的となり、先般のガザ攻撃でも、圧倒的あ軍事力でパレスチナ自治区を総攻撃したことで、世界中から非難されている。
イスラエル人たちは、自分たちが世界から悪く言われていることを実によく理解していて、そのことについて憤っているし、メディアが繰り返すイスラエル関連の報道がアンフェアであると思っている。
一般市民はそのことに傷ついている。
自分の国の政治的な政策によって、一般庶民の平和は失われ、憎しみが増幅していく歴史を刻んで来ている。
それは今も繰り返されていることなのだ。

だからこそ、そんな中にあって「エルサレムで異民族が和合しようと努力していることは、素晴らしく賞賛に値する」というメッセージは、彼らの心を打ち、彼らは個人の問題としてではなく、イスラエル人として大きな励ましを受けたのだということも、実感として伝わって来た。
彼らは励まされなければならない民族なのだと。

このような複雑な国に生きている女性から「あなたのように考えれば平和が来る」と涙を流して語る言葉を聞いたとき、僕は一体どれほどの存在かと自分が恥ずかしくなった。

しかし同時に、自分がコンサートを通して語り続けてきているメッセージは、今も苦難の歴史をリアルタイムで歩み続けている国でも有効なことなのだと思わされた。
「平和」を作り出す和を尊ぶ日本精神のメッセージと、HEAVENESEがエンターテイメントが、音魂となって彼らの心にしみ込んだのだと深いところで実感し、魂の深いところで、何かがつながった瞬間だった。
去来する想いが絡み合い、心の内側からこみ上げる魂の叫びをこらえ、手を握り、「来てくれてありがとう」そう語る以外にできることはなかった。

いままでいろいろな所で演奏し、歌い、メッセージを発して来たが、これまでどこでも味わったことのない瞬間だった。
おそらく、もう二度とないだろう。この出来事は、これからの活動のためにサインだったと理解している。

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